青春時代に「岡崎に捧ぐ」のような友だちが欲しかった

青春時代にうまく馴染めなかった

青春。それはある人にとっては良き思い出、ある人にとっては忘れたい黒歴史。いずれにせよ誰もが通ってきた道だ。誰もスキップできない。必死でもがき、必死であがき、必死で乗り越えてきた思春期。

アオハルなんて爽やかな言葉だけではきっと表せない、日々。熱情、熱狂、愉悦、嫉妬、羨望、憧憬、思慕、焦燥感、劣等感、優越感、万能感、エトセトラエトセトラ。とにかくあらゆる感情を経験していく。毎日は目まぐるしく、振り返る余裕もないまま進む。誰かを好きになったり嫌いになったり、逆に好かれたり嫌われたりもする。自分も揺れているが相手も揺れている時期。ふわっとした人間関係、摩擦、親友、仲間はずれ。それらは常に隣合わせで、青春期の繊細な心を痛めたりする。

自分の青春時代を思うとき、それは楽しい思い出もたくさんあるけれど、やはり苦しかったという気持ちが強い。誰かに合わせていないとならない空気感も嫌だったし、好きなものやことをただ好きと言っていられない環境というのがつらかった。都心の学校に通っていたので、遊ぶのはもっぱら渋谷だった。カラオケとプリクラが日常で、ゲームの話なんて誰もしていなかった。本だってろくすっぽ読んでない人が大多数だった。ただただ浪費されていく毎日。それでも好きな人がいたり、長電話したりする友だちがいたり、それなりに毎日は充実していると思っていた。けれど誰にも分かってもらえないだろうと思ったし、おそらくわたしも誰のことも分かろうとしていなかった。寂しいもんだなと思うこともあったけれど、でもそれよりは毎日に振り落とされないことが重要だった。

そうしたなんとなくちゃんと楽しめなかった青春時代に、たった一人でいいから、思春期の何やかやから解放された場所に、大切なことを分かち合える友だちがいてくれたら何か違ってたんじゃないかと思うことがある。
そう、わたしは「岡崎さん」が欲しかった。

岡崎に捧ぐ」とは

おそらくこのブログを読んでくれるような変わり者さんはすでに読んでる人が大半なので説明の必要もないと思うのだけれど、「岡崎に捧ぐ」とは以下のような青春記。

岡崎に捧ぐ 1 (コミックス単行本)

岡崎に捧ぐ 1 (コミックス単行本)

「山本さん」と
ちょっと変わった
女の子「岡崎さん」。
今から約20年前、
1990年代のある町で、
ふたりの友情は始まった。
これは「山本さん」が
「岡崎さん」に
捧げるために描いた、
あの頃の思い出物語

(「岡崎に捧ぐ」裏表紙より)

舞台が90年代〜なので、スーパーファミコンやたまごっちなど懐かしいアイテムがやたらと出てくるのも読者の心をくすぐる。ただバカをやってればよかった小学校編〜中学編前半から中学編後半〜高校編にかけての「山本さん」の心の動きの機微は青春に馴染めなかった人間としては心にずんとくるものもある。そしてどんなときも変わらないそのまんまの姿でいつもそばにいた「岡崎さん」の存在。いい。羨ましい。超ずるい。

高校編がとてもよい

おそらく本作を好きな人は小学校編から中学校編の懐かしさやバカらしさを評価しているのではないかと思う。新しい「ちびまる子ちゃん」と評されるのもそのあたりなのではないかなあと。

しかしわたしは高校編(3巻)を推したい。

高校編のあらまし(ネタバレします)

主人公の山本さんは高校受験に失敗して、岡崎さんとは別々の高校に通うことになる。そこで待っていたのは「友だち付き合い」の面倒くささだった。かわいくないものをかわいいといったり、お互いにお世辞を言い合ったりする。中学より自由になったはずなのに、ルーズソックスの丈、通学カバンの種類、ヘアピンやキーホルダーのセンスなど、外れないようにしなければならない。そして何かと言えばプリクラ交換、カラオケ。そんな生活で疲れても、岡崎さんの家に行けば、変わらないままの岡崎さんがいて、山本さんはほっとすることができた。

高校では同級生が青春を謳歌している中、自分だけが取り残されているという焦りがある。そのうちに学校をサボるようになってしまう。そうしている間に高校では余裕だったはずの学力も落ちてしまい、ますます焦りを感じてしまう。

と、中学編までのあっけらかんとした感じが嘘のような若干重めの内容になっている。

その中で変わらなかった岡崎さん

高校に馴染めなくて疲れていた時も、美大の予備校に通いだしてちょっと痛い感じになったときも、岡崎さんはいつもと変わらぬ姿でそこにいた。このことは山本さんにとっては、ものすごい救いだったのではないかと思う。周りがどんどん変わっていく中で、変わらないものの存在は貴重だ。もちろん岡崎さんにだって青春はあって、それは山本さんの知らないところでも進行していて、高校が別れてからはお互いが知らないことも増えたはずだ。けれども会えばいつもの「岡崎さん」がいてくれるから、素のままの「山本さん」でいられることができたのだと思う。

こんな友だちがいたら自分の青春時代も救いがあったんじゃないかと思ってしまう。もう戻れないけれど、もし青春をやり直せるなら、こんな風な友だちが欲しい。

でもこれからだって友だちはできる(多分)

3巻の最後は高校を卒業し、みんながそれぞれ大人になっていこうとする中で、山本さんと岡崎さんがバカなことをするシーンで終わる。「子どもでいられる時間はもうわずかだ」
でもきっと二人の友情はずっと続いているんだろう。

友だちが長続きしないわたしとしては本当に羨ましい。高校には高校の、大学には大学の、会社には会社の、そのときどきの友だちがいたけれど、卒業すれば、仕事をやめてしまえば、そこで途切れてしまう関係だ。
この先、今更この二人みたいに何もかも知っているような、何をするにも一緒なような、そんな関係の友だちを作ることはできないだろう。大人だからだ。でも大人だからこそ、いろんなものを飲み込んでやってきたからこそ分かり合えるような、そんな人にはもしかしたら巡り会えるかもしれない。そのためにも、できるだけ心をオープンにして、面白いことを面白がり、好きなものを好きだと言っていきたい。小、中学校時代の山本さんのように、心に素直に。

青春時代は確かにもう来ないけれど、まだ人生は前半戦、まだ諦めるときじゃないのだ。